逍遥游

本を読んだり、無軌道に自転車に乗ったり、オールドデジカメでブラパチしたり……。

老母が寝たのと雨が収まったのをみはからい

近所を一時間ほど歩きました。おおよそ7,000歩。

毎日これくらいは歩かないといけませんね。

ダウンを着ていると汗ばむくらい。

なんとなく春の気配を感じさせます。

実際はまだまだですが……。

帰って来たらやはりちょっとゾクゾク

厚着をして歩いてはいけませんね。

 

昨日の毎日新聞書評欄に、昨年岩波文庫に入った

幸田露伴による『渋沢栄一伝』が上がっていて(湯川豊評)

露伴の人物を見る見識の高さと、伝記表現におけるリアリティを

高く評価されていました。

そこに露伴がその伝記の執筆を引き受けたことの経緯が、

岩波の大番頭だった小林勇の『蝸牛庵訪問記』の

昭和九年のところに出ているとあったので、

今朝本棚から引っ張り出して読んで見ました。

なるほど一度話を持ち出して、固辞されたことが書いてあり

その後、年を追って執筆から完成への流れを小林のやや手柄話めいた

回想のなかにうかがい知ることができます。

ちょうど執筆も終盤の昭和13年のところには

「例の澁澤傳ももうちょっとというところだが、どうもいけない。

 今までもらっている資料も、若いころのはいいが、晩年のは澁澤が

 自分で話したことが主になっているから、人間六十をすぎると

 よほど確のようでも、どうもひとりよがりになり勝ちのものさ、

 澁澤もなにも自分で法螺をふく気もないが、とかくそうなり勝ち

 のものだ。澁澤は六十をすぎてからは、自分でやったという仕事がなく

 人の世話やら、かつがれたことばかりになっている。……」と見えています。

露伴が、明治六年に栄一が大蔵省を退いて、実業家となるところで

栄一の伝記をおわりにしてもよいと書くのを評者は大いに評価しています。

そこで栄一の種まき(日本資本主義の創出)は終わっていたのでしょう。

文学者が偉人の「伝記」を書くというのはそういう面でも、むつかしいものなんですね。

それにしても澁澤側からの執筆謝礼の金額もほぼ書いてある

小林の記録もまたリアル。

小林の本は以前は揃えていましたが、今手元にはこの本だけ。

 

王子の澁澤史料館は二度行きました。

澁澤敬三は親しみを感じます。

遠縁にあたる澁澤龍彦の本は楽しみました。

この伝記は、さて読むかな?

 

 

 *散歩道にて

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