三條大橋の擬宝珠を舐める
*写真説明は末尾に
寺社を訪れたとき、燈籠や梵鐘、鰐口や欄干擬宝珠の類いに接すると
どうしてもそこに刻まれた銘文を読んでみたくなるのは小生の身についたクセです。
先日瀬田の唐橋を渡ったときも、擬宝珠の刻銘をざっと読んで見ました。
もちろん唐橋は何度も掛け替えられていて、
その費用は莫大でしたが、日野商人で京都で成功した中井正治右衛門が、
その後の維持管理費まででつけて、掛け替えの工事費を負担したのは
いわゆる近江商人の「陰徳善事」の例としてよく知られています。
当然ながら銘文に名前は刻まれてません。
今の唐橋にある擬宝珠は5種類くらいあって、うち2種類は江戸後期のもの
あとは明治、大正、昭和の掛け替え時のもののようです。
江戸のものの銘文を磨り消してリサイクルしているものが多いのですが……。
最後の掛け替えは小生もよく知っています。
しかし、擬宝珠というとやはり京都三条大橋のものが有名でしょう。
大丸近くの「ぎぼし」という昆布屋は、これを店名にしたのでしょう。
あそこの吹き寄せはちょっと高いけど好物ですナ。
最近はコロナでとんと行ったことがありませんが、
京阪から地上に出て、鴨川を見ながらこの橋を渡るときは、
いくつになっても、「うきうき」しますね。
表面は痛めつけられていますが、なかなかいい色合いです。
その銘文をここに書き出すのはやめときますが
その一部だけは上方落語に出て来ます。
そもそも私がこの擬宝珠のことを知ったのも落語からでした。
有名な「東の旅」のうち「三十石」。その初めの方で銘文が読まれます。
https://www.youtube.com/watch?v=9qCvprcfOxU
*米朝の三十石です。はじめから7分から8分のところ。
奉行の増田長盛(ましたながもり)を「ますだ」と読んでいますが……。
で、この擬宝珠天正十八年当時のものでしょうか、
字もなかなか味わいがありますが……。
これについては次のようなのような実地をふまえた考察サイトもありまして。
じつにあいまいなんですね。後世のものも混じっているとか。
三条大橋マニアックツアー(2) ~擬宝珠銘の異同 : 京都クルーズ・ブログ
それはともかく、京都へ行くと、なぜかいつもパチリと撮りたくなります。
なぜでしょう。
初めて撮ったのは今からもう三十数年前、まだ20代なかば。
当時三条小橋ちかくにあった、今で云えばオールドのカメラ店(キネヤ)で、
ローライ35T(TはもちろんレンズのTessarのTです)を買いまして、
喜び勇んで反対側のムツミ堂でポジフィルムを購入、
最初のカットがこの擬宝珠だったと覚えています。
ご承知のようにローライ35は目測、近接だと視差の大きなファインダーでしたので、
気合いを入れたにもかかわらず、上がってきたものはしっかりズレてボケていました。
そのときの記憶がよみがえるのか、なぜかりきんで撮り直しを続けています。
さて、今朝小林勇の『蝸牛庵訪問記』を流し読みしていたら
先日もすこし触れましたが、明治41年に露伴が京大で国文学を講じていたとき
露伴は東京から漆山という青年を書生として同行させていたらしく。
京都で、或るとき漆山さんと二人で三條の大橋のところを通ったとき、「このぎぼしは、高山彦九郎や牛若丸や辨慶の手垢がついているぎぼしだからなめてみろ」と先生がけしかけたら、漆山さんがぎぼしをなめたというのである。漆山さんはどもりどもり「先生があのとき、『天下広しといえども、このぎぼしの味を知っている人はあるまい。』というので、わたしはなめました。」といったので皆笑った。
と書いてあるのを見つけました。
ほゥ、これは面白い話と思っておりましたが
調べて見ると江戸落語に浅草寺五重塔の擬宝珠を舐める噺があるようですね。
「金の味」とかそのものずばりで「擬宝珠」とか……。
オチには緑青が関係するのですが、詳しくお知りになりたい方は、またお調べください。
小生が三条大橋の擬宝珠の銘文に興味を持ったのは、桂米朝の「三十石」でしたが
うまいぐあいに江戸落語の擬宝珠でオチがついたようです。
*さがしたらこんなのが出て来ました。1986年7月とあります。暑いのにようまわってます。
上の記事とは別の日ですが、ちゃんと三条大橋の擬宝珠を撮っていますね。
カメラは対象がフレームから微妙にズレているのでローライ35かな。中段に今はないほんやら洞。