逍遥游

本を読んだり、無軌道に自転車に乗ったり、オールドデジカメでブラパチしたり……。

青木正兒を読んでいます

なにかわかったようなことを書くわけではありません。

表題の通りで、ぼちぼち読んでいます。

 

青木 正児(あおき まさる、旧字体靑木正兒1887年明治20年)2月14日 - 1964年昭和39年)12月2日)は、大正から昭和中期の中国学者・中国文学者山口県下関市出身。を君雅。迷陽の別号があり、しばしば親しみを込めて迷陽先生と称される。

生涯を通じ中国文学・文物に親しみ、その風雅を紹介し古典中国文学を文学研究としての観点から学術評価した。従来趣味的な要素の強かった中国の食文化風俗を、学術レベルで研究・紹介した先駆者である。名物学を体系的に整理したことでも知られる。

(以上ウィキペディア

 

東北大・京大・山口大・立命館大の教授を歴任というとお堅い印象ですが、

岩波文庫に『華国風味』があり、随筆も数冊文庫になっています。

また、和漢の食通としても知られています。

先日注文したその『琴棊書畫』が届いたので早速読み始めました。

内容は学術誌にのせたものと、長短の随筆。

まずは「竹窓夢」から。その冒頭は「京都帝大教官時代の露伴先生」

露伴を読む人にはすでによく知られたエピソードのようですが、

京都帝大文科大学開設当時、狩野亨吉学長によって内藤湖南とともに教授として招聘され、一年で東京に帰ってしまった幸田露伴について、その思い出をつづったもので、湖南と比較して次のように記しています。

 

「湖南先生は淸濁併せ呑む性格でもあるが、其の記者生活で敲き上げた不敵な気魄、失礼な言ひ方ではあるが、人を人とも思はぬ横着なところが有ったので、官學の教授會に飛入して、官僚的な空氣の中に和光同塵、二十年近くの歳月を乗り切られたわけである。然るに露伴先生の人と為りは極めて温厚で平民的で氣樂に見えてゐたが、性格は玉壺氷淸と謂はうか、碧潭澄徹と謂はうか、一介の塵、一滴の濁も之容れざる淸さであった上に、藝術家として憚る所無き自由な生活を續けて來られたのであるから、一たび官學の門を入るや、その官僚臭が鼻に着いてたまらなかったに違ひない。」

 

今回購入したのは、昭和33年春秋社より出されたもの。古書店ことわりに「線引きあり」とあって格安でしたが、ひらいてみるとたしかに赤線がいっぱい。あまり意味はないようなので、思い切って消しゴムをあててみると、幸い消せるタイプの赤鉛筆で助かりました。一部人名に引かれた水色のマーカーは消えませんでしたが……。

後ろ見返しにいくつも値が書いてあった痕跡があり、背の手擦れから推して、

これまで何人もの所有者の手を経ているようす。さて、私が最終読者になりますか?

 

ところでこの本は簾の目の入った和紙のような用紙を使っているのですが、下のようなすかしがところどころに入っていました。本づくりのことは不明ですが、はじめての経験です。

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