逍遥游

本を読んだり、無軌道に自転車に乗ったり、オールドデジカメでブラパチしたり……。

老母の初夢

仕事始め日です。

ひとまず湖畔へ……。

 

明け方、老母の足をベッドに入れに行ったら、ちょうど目が覚めたらしく

なにやらニコニコしている、なんやと尋ねると、よい初夢を見たらしい。

天皇さんと一緒に車に乗せてもらって、瀬田の唐橋を渡ったらしいのですが

陛下にはその時に母がうたった唄を、とても気にいられ

お褒めのことばを頂戴したというのです。

ははーんと思いました。それは母が子どもの時に聞かされた唄で

私も幼い頃正月になったらよく聞かされたものです。

 

 正月っさん、正月っさん

 どーこーまでーごーざった

 みーかみやま(三上山)の麓まで

 なんに乗ってごーさった

 うーま(馬)に乗ってごーざった

 なーにーもってごーざった

 ふーくーろー(袋)に餅入れて

 とーしみ(灯芯)でくーくって

 せんこー(線香)でにーのーてー

 せーたのはし(瀬田の橋)渡るとて

 びっちぐーそーですーべって

 かったぐそで腰打って

 あーくーさやふーんとな

 もひとつくーさやふーんとな

 

各地に伝わる正月神の来訪をことほぐ唄で

後半はこどもの戯れ唄になっていますが

これをお褒め頂いたとはまことに畏れ多いことです(笑)。

 

老母は京都の田中の米穀卸商に生まれました。

祖父はその二代目で鐘紡の工場に卸して結構羽振りがよく、

祇園町で遊んだり、行者講の先達になって吉野大峯に通ったり

まぁ好きなことしてた人物で、あんまり好き放題なので

その父(私からいうと曾祖父、若狭の名田庄村の出身)は

「こいつは身代をつぶしよる」といって

後添えをもらって田舎に隠居してしまったという逸話もあります。

結局その予言のとおりに、祖父は友人の借金の裏判をついて、財産をなくしましたが

(借金の当の本人は朝鮮に逃亡したというのがいかにもその時代らしいのですが)

転んでもなんとやらで、その手先の器用さを活かして寺社に納める金物の店を開き

なんとか子どもたちを育てたとか……。

 

ただ、この唄は母(私からいうと祖母)から習ったようです。

近江の日野商人の娘だった祖母は景気のよいときに嫁いで来たので

実家方面からはよく京都見物を兼ねてたずねてくる人が絶えなかったとか、

逼塞してからはたいへんな苦労だったようで、40代で盲腸で早死してしまいます。

母は手先が器用でしたので戦時下から戦後の混乱期に兄弟を養うべく

買い出しのかたわら裁縫にうちこんで洋服も縫えるようになります。

戦後「塚本さん」ところに働き口をみつけ、

そのまま仕事を続けるつもりだったようですが

その塚本さんも、も一つやということで

東洋レーヨン(現東レ)に縁があって滋賀県にやってきたという次第。

塚本さんというのは、あのワコールですナ。

そんなわけで、小生は子どもの時から母親の手作りの服を着ておりました。

息子がいうのもなんですが、創意工夫の智恵はよく働いたので

もうちょっと「塚本さん」で気張ってたらなにものかになれたかもなぁ、

などとよく笑って話しておりました。

 

このほか戦後の買い出し行脚の話や、近所でいうと魯山人とか、

ポンソンピーの話とか、いろいろと面白い話はあるようでしたが

きちんと書いて記録しておくという才能はなくて、

このままあの世へ持っていくことになりそうでちょっと残念です。

 NHKファミリーヒストリーではありませんが

どの家にも波瀾の一つや二つはあって、

その総体が日本の近現代史になるということですなぁ。

 

そんな母も、ちかごろはいよいよ認知症が進みました。

皇室と親しいなんてのも、実は認知症のよくある妄想のひとつなんですな。

 

 

*以下、本日のポタリング

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県庁の噴水の上がっているのは久しぶりです。冬ということもありますが、ニコン色です。