静かな京都
秋でしょうか。
老母をデイサービスに送り出してから、
電車に乗って京都へ。
京都駅から北へ歩き出し、はじめて枳穀亭へ行ってみました。
広大なお庭はどこか大名庭園にも似て大味ですが
せせこましい下京にいることを忘れさせるものがありますね。
「枳穀亭」というと「お東騒動」という言葉が浮かびます。
同類のお家騒動はどこの教団や本山にあるようですが
さすがにお東さんはそのスケールも違ったようです。
ま、庭園は庭園として楽しみました。
いただけるパンフレットもとっても立派です。
さらに北へ歩を進めて、本当に久しぶりに四条から河原町をあるきましたが
河原町通りの荒廃は目に余るものがありました。
御池から寺町に入って北へ、夷川を西に行って
烏丸から地下鉄東西線で帰りました。
汗はかきましたが、もう8月のような猛暑にはなりません。
関空があんなことなので、外国人の姿もまばら
少し前の京都にもどったような静けさでした。
一昨日から聊斎志異を読み始めました。もちろん訳ですが
面白いものですね。
妖鬼や狐など人間で無いものや他界のモノと人間の交流が
次から次へと記されています。
荒唐無稽のようですが、しばらくすると
違和感がなくなり、こちらのほうがむしろリアルに感じてくる。
読み継がれてきた理由でしょうか。
*枳穀亭にて
法要案内の字がまるで高校生でした。要修行!(笑)
新米の季節
夕方、一時間をめどに散歩に出掛けています。
今日から半ズボンをやめ、長いズボンにはきかえました。
このまますーっと秋になってくれるのでしょうか。
ちょっと前から新米を頂くようになりました。
8月末の暑いさなかに刈り取られたことでしょう。
私の感覚では夏に新米というのはちょっと違和感があります。
子どもの頃はまだ二毛作をしていましたが、
「二毛作」といってももうわからないでしょうか。
表が稲で裏が麦、二期作ではありません。
それはともかく、
稲を刈るのはもう秋が深まってからだったような気がします。
公民館に村中の主婦が集まって、共同炊飯をしていたことも覚えています。
その賑やかなことはまるで祭りのようでした。
*先日の台風の産物でしょうか、お地蔵さんも苦笑しておられる。
心構え
水害、台風、地震とことしはさんざんな年です。
なんか御政道が悪いのんとちがうかな、
天の神さんがそういうてはるような気がします。
オリンピック万博より、これから恒常化しそうな災害への備えを
きちんとしてほしい。
例えば電柱・電線だけでも地中化して欲しいですね。
でも、それでダムや堤防で自然を覆い尽くしたり、
暮らしを締め付けるようなことをされるのはいやですね。
お上に期待するより、自分でいざというときのための準備をしておくのが
いろんな意味で身のためかもしれません。
ホームセンターで手頃なコンテナを買い、防災グッズを保存することにしました。
家事でばたばたした一週間でした。
お彼岸もちかづいたので、そろそろ秋の空が見たいですね。
*台風の置き土産 ヒマラヤスギの実(球果というのでしょうか)、
これは直撃したら泣きますよ。
台風襲来
記憶の中でもなかなかないような吹き降りになっています。
気圧の低下が頭がボンヤリすることでわかります。
そうこうしているうちにお隣は二階のエアコンの室外機が落ち、
近所のモデルハウスは屋根の一部が吹き飛びました。
下地はコンパネに防水シートをさっと敷き、
若い衆が一日で金槌一挺と釘だけで葺いてしまうのですから、
全くもって信じられない屋根だとおもっていましたが、
壁に当たった風が上に吹き上げて
押し縁のようなところをバリバリーとメクリ上げていく様をみるにつけ
これで数千万円取るのかとまったくもって呆れました。
まだ未確認ですが、そこから道を挟んだ古めの家は二階の瓦が
相当吹き飛んでいるのではと思われます。
ご老人の世帯なのか、このあいだの台風で一部飛んでいたのですが
手も付けていませんでした。今度はどうなることやら。
台風のせいでというには解せませんが、市ガスが止まってしまい
雨風の中ほおかむりして元栓のところへボタンを押しに行きました。
あっちこっちでメリメリ、バリバリと音がします。
子どもの頃はよく風呂場の窓から怖い物見たさで覗いていました。
今もその記憶があるのか、ずっと窓から外を眺めています。