不要不急ながら
きょうも良い天気に誘われて自転車に跨がり2時間ほど走りました。
行き先は石山、国分(こくぶ)の幻住庵です。
全体に登り調子なのですぐ息が上がります。
重力?には逆らえないことは熟知しているので、
躊躇わずさっさと「押し」に入ります。
芭蕉は元禄3年(1690)膳所藩の重臣で俳人としても名のあった
菅沼曲水の斡旋によってこの地に寓居しました。
「まずたのむ 椎の葉もあり 夏木立」ですね。
芭蕉は京都には住まず、大津を好みました。
ここは今では手入れのされていない雑木山になっていますが
当時は明るく、湖水とそれを取り巻く山々が見晴らせ石山寺や唐橋にもほど近い。
近江八景や知られた歌枕の数々が、ここに立てば掌をさすように一望できるところ。
そのうえ、大津はもちろん京都や故郷伊賀へも出やすい場所。
東海道をとって大津から逢坂山をこえずとも、
背後の山を越えれば醍醐から伏見へ回れ、大坂へ出る舟便もある。
まぁ「トカイナカ」ですね。
「幻住菴記」では国分村の百姓の農談に耳を傾けて
まるで聞いたこともないように珍しがってみせていますが
伊賀はもっと田舎、鄕士の根っこをもった彼にとってそんなことが
じっさい珍しいはずはなかったと思うのですが……。まぁそういう噺になっている。
有力な支持者にかこまれ、都のように揚げ足を取るようなめんどくさい連中もいない。
ともかく居心地がよかったんでしょう。
ふーふー行って登り切ったところに、氏神社に接して大津市が整備した建物があります。
残念ながら今日は休庵日でした。
パチパチと写真を撮って、さーっと坂道を下ってきたら、
学校から三学期の荷物を持ち、なんとなくきょとんとした顔つきで帰ってくる子どもたちと出会いました。
*国分山の幻住庵跡は国の史跡なんですね
*「幻住菴記」が陶板で掲示されていました
*「幻住菴記」には「八幡宮」の名でみえる近津尾神社、その境内に建つ石燈籠です。
社殿は時代が下りますがこれは延宝六年(1678)の建立なので芭蕉もみているはず。