思い出の町で再発見
昨日は夕方からの授業がはじまるまで出かけてみました。
コロナ禍のなかで、出かける場所も限られています。
いつもは山や藪に通っていますが、たまには町にも繰り出さないと……。
ということで、唐橋の近くへ。
人の行動範囲、というかナワバリというのでしょうか
私の場合は突き詰めてみると、かつての小学校区とだいたいあうような気がします。
小学校といっても半世紀前は、現在三つ小学校区に相当するのでそれなりの広さをもっています。
学校から帰って、姉のお下がりの自転車に跨がってすぐ走り出しても、
日が暮れるまでにその全部をまわることなどとてもてきないほど、それは広いものでした。
もちろん還暦ライダーにとっても、一汗かくくらいの広さです。
同級生の分布も相当の広がりがあり、親の仕事も多種多様で、
意味は違えど、今よりずっと世間が広かったですね。
瀬田川にかかる唐橋から建部大社のある界隈は、
農家に囲まれた自分の近所とはちがって、
通りには商店やスーパー、その名も横町(よこまち)という通りには
銭湯や駄菓子屋もあり、ちょっとした町場として子ども心にもウキウキしたものです。
昨日はその辺り、人もすれ違えないような細い路地もくまなく走ってみました。
もちろん古い自転車と古いコンデジ(Cyber-shot TX5)が、よいお供になったことはいうまでもありません。 *画像はなぶっています
*建部大社の近くで、神社よりこっちがすきですなぁ。
*見事なバラに驚きました
*こんな路地におもしろそうな雑貨屋(まんまる堂)さんが
*どうやら造酒屋の酒蔵らしいです。これがあとの伏線に……。
*瀬田川まで下りました。名産の瀬田しじみ。今もとれているようです。
*川から町のほうに戻ってみると、変なところから金気の多い水が流れ出しています。
もしかすると……。
*坂を登り切るとそこに水の分配施設が。あちこちから水の流れる音がします。
瀬田川に面した丘陵の崖から伏流水が吹き出し、「水道」に使っていたようです。
これで造酒屋とつながりました。
*同級生の家をつないでまだまだ走ります。少し拡げていますが昔の「三尺」道。
ぼろぼろのコンデジですが胸ポケットに入って、ポタリングのお供にピッタリです。
茶の香り
新茶の便りを聞く季節になりました。
いつも通っている河原の藪畑にも放棄された茶の木があり
盛んに「一芯ニ葉」を吹いているので、気まぐれに摘んで帰って
まねごとに茶を揉んで味わってみることがありますが
もちろん「のようなもの」にもなりはしません。
市販されている新茶も若々しさを味わうだけで
おいしいと思うことはありません。
それが値打ちなので文句をいってはいけませんが……。
そんなわけで、去年のお茶をせっせと呑んでいます。
子どもの頃はご近所の農家でも、生け垣代わりに茶が植えてあって
一年間の呑み茶は自給していたことをおぼえています。
お茶所でないような湖畔の村のなかに今も製茶場があったりするのは
ずっと茶葉をもちこんで製茶を委託する農家の需要があったからと思います。
今スーパーのお茶コーナーで幅を利かしているのは、深蒸し茶のようですが
私は色とのどごしが強すぎて好みません。
お茶を飲む湯飲みは、たいていご飯を食べたあとの飯茶碗ですます不精者ですが
茶請けがあればごそごそ湯飲みを出してきて、あれやこれやと飲み比べてみる
そんなのも楽しいひとときになりますね。
近江人なので信楽のものがたまってくるわけですが、
土物はお茶の水色がわからないので、安物の茶とはいえ、よいのやらわるいのやら、
色々とっかえひっかえして、結局小ぶりの飯茶碗を湯飲みにしているありさまです。
*これは典型的な信楽焼。どちらも同じ作者ですが、季節や天気、体調で使い分けます。
と、いってこれが好きなの?と言われると、どうですやろ。
里山は夏模様
まったくもって表題の通りです。
一週間ぶりに裏山を歩いてきました。
三時過ぎて、日ざしがやわらいだかなと思ったのは気のせいでした。
いつもの小径を歩きましたが、はて、道を間違えたかなと思うくらいの変貌ぶりです。
汗をかかない程度にゆっくり登っていきます。
鳥のさえずりを楽しみ、松柏の香りをきき、木漏れ日を愛でながら……。
なんて少し強がりをつぶやきながら、小一時間の散歩を楽しみました。
帰宅後本の整理をしていると、杉本秀太郎の『洛中生息』が出て来ました。
みすゞから出ている単行本で1976年のもの、表紙は祇園祭の棒振りのようです。
たしか文庫本でももっていたはずですが、幾度かの引越のうちに無くしてしまい
改めて買い求めたとおぼえています。
今の時期にあうのはないかと頁を繰ってみると、「かきつばた」と題した小文がありました。
京都でかきつばたといえば……。やはり大田神社のかきつばたのことです。
老母の育った上賀茂藤木町からすこし東ヘ、家並みからちょっと北に上がった
山裾に鎮座する大田神社へは、私も親元の家にいくごとに遊びにいったものです。
杉本が大田神社に向かったのは、いうまでもなくかきつばたを愛でるためです。
しかし、時期がずれていたことと、神職が境内に無粋にも赤いバラを植えていることに興ざめして、
そこから例によって、美意識の衰亡を歎ずるわけですが
それはともかく、老母はほとんど、そのかきつばたの記憶がないようです。
鴨一族の末裔の家々のいろんな話はよう覚えているんですが……。
ふしぎなことです。
*クモの巣が増えてきました。
*連休までとは緑の濃さが違います。山裾はうす暗いほどです。
在宅授業1ヶ月
在宅授業が始まって一ヶ月がたちました。
教えている方は、小規模大学の事情もあり、zoom対応ができていません。
レジュメをPDF化して、参考となりそうな画像や映像をリンクしておき
学生に見させるという形をとっています。
例年とは違い、できるだけ話し言葉に置き換え、
吹き出しを多く配置して説明を補足しています。
枚数はA4でぎっしり5、6枚になるでしょうか。
以前のレジュメはそのままは使えないので、やはり手入れに日中一杯かかります。
実験や実技をともなわないので、その点はありがたいですが
教える方からみると学生の反応がダイレクトでないこと
反応を見て、其の場で内容を深めたり拡げたりすることが難しいですね。
レジュメは音読することといっていますが、15分もかからないはず
課題をだしてはいますが、感想程度なので理解のほどは計り難いです。
対面ではさらっと流してしまうところを、できるだけ文字化したり画像を貼って
関心をもたせるようにしたり……。
短時間のムービーを作って貼り付けようかとも考えています。
うーん、いつもより熱心に作業している自分に気がつきますね。
一方聴講している大学の方は、zoomが快適で、授業終了後はzoom懇親会も実施され、
早速参加させて頂きました。制限はありますが、対面とほぼ同じという印象です。
しばらく世間でも賛否両論が交わされることと思いますが、
十分使えるツールと感じました。
先生の方は時間通りはじめて時間通り終わらなきゃならないのでご不満かも……。
もちろん私自身は、街へ出かけてその雰囲気を楽しみ
図書館や古書店などにもひたっていたい方ですから、
いつまでもこれではほんとうに「窒息」してしまいます。
ま、義務教育や高校の先生方のご苦労を考えると、「遊び」ですからね。
いずれにしても、早く対面授業が再開されることを願っています。
*信楽火鉢のナマコ釉を撮ってみました。なんかガラモンを思い出しちゃいます。
zoomに手こずる
今日は朝9時からの授業。当然zoomなんですが
パスワードを失念してしまい、お知らせのメールさがすのに右往左往。
あせりました。
結局20分くらい「遅刻」してしまいました。
パスワードをメモした付箋を貼っておいたのが、
昨日大掃除をしたついでに、断捨離してしまったらしい。
一時はあきらめたのですが、なんとか探し出すことが出来ました。
ちょうどログインしたところで、本題にはいり
(この先生は前振りが結構長くて面白い)事なきを得ました。
そんなわけで、zoomが悪いのではなく、私がアホだったということです。はい。
これに懲りて、モニタ上に付箋ソフトを常置してメモりました。
デジタルが進むと便利は便利ですが
ログイン操作がドンドン増えて、これまたうっとうしいことです。
壁にはID PSを書いたメモがぺたぺた貼ってあり
いったいなんのためのパスワードなのかと思ってしまいます。
それにしてもこの授業、一限目ということもあって、学生さんはわずかに5名
マンモス大学の大講義を受けてきた身には、なんとも贅沢な勉強です。