茶の香り
新茶の便りを聞く季節になりました。
いつも通っている河原の藪畑にも放棄された茶の木があり
盛んに「一芯ニ葉」を吹いているので、気まぐれに摘んで帰って
まねごとに茶を揉んで味わってみることがありますが
もちろん「のようなもの」にもなりはしません。
市販されている新茶も若々しさを味わうだけで
おいしいと思うことはありません。
それが値打ちなので文句をいってはいけませんが……。
そんなわけで、去年のお茶をせっせと呑んでいます。
子どもの頃はご近所の農家でも、生け垣代わりに茶が植えてあって
一年間の呑み茶は自給していたことをおぼえています。
お茶所でないような湖畔の村のなかに今も製茶場があったりするのは
ずっと茶葉をもちこんで製茶を委託する農家の需要があったからと思います。
今スーパーのお茶コーナーで幅を利かしているのは、深蒸し茶のようですが
私は色とのどごしが強すぎて好みません。
お茶を飲む湯飲みは、たいていご飯を食べたあとの飯茶碗ですます不精者ですが
茶請けがあればごそごそ湯飲みを出してきて、あれやこれやと飲み比べてみる
そんなのも楽しいひとときになりますね。
近江人なので信楽のものがたまってくるわけですが、
土物はお茶の水色がわからないので、安物の茶とはいえ、よいのやらわるいのやら、
色々とっかえひっかえして、結局小ぶりの飯茶碗を湯飲みにしているありさまです。
*これは典型的な信楽焼。どちらも同じ作者ですが、季節や天気、体調で使い分けます。
と、いってこれが好きなの?と言われると、どうですやろ。