逍遥游

本を読んだり、無軌道に自転車に乗ったり、オールドデジカメでブラパチしたり……。

書斎の王様

夏休みは本読みに限ります。

漢文に疲れたら、エアコンのやんわり効いたソファーで本読みです。

納戸の本棚から岩波新書を数冊持ち出しました。

小生の年代だと岩波新書は青版から黄版に移り、その全盛期だったと思います。

数々の良作、話題作がでて、しかも息の長いのが多かったですね。

 

その後の新赤版はやや読み物にシフトした感じがありました。

今の新新赤版になって再び専門書が増えましたが、

何度も読み返すというのは減りました。

自分がもう今の「新書」の内容について行けていないということなんでしょう。

確実に「退行」しております。

 

昨日読んだのは、『書斎の王様』1985年。

「図書」編集部編というかたちで編まれていて、「図書」誌に連載されたもの。

カバー見返しの紹介文には

 

書斎には一つの固定したイメージがあるが,実は驚くほど多様な世界がそこにある.落着いた本格派もあればメカとワープロの近代派もある.リビングのテーブル,飛行機,地下鉄,喫茶店だって立派な書斎だ.本書にはこの多彩な空間が登場し,諸分野一七氏が,これといかに関わってきたかの苦心と秘策を明かす.あなたも今日から書斎の王様.

 

とあります。ワープロがいよいよ登場しますが、あくまで筆記具の代替というところ

そんな時代背景の中で、

文字通りわが書斎を語ったもの、そのなかみをなす蔵書と、それを形成したご本人学問や時代のを語ったもの、書く行為と、書かれる場を記したものがうまくアレンジされていて、なかなか面白い。肩肘張らずに何度も読み返せる一冊になっています。

 

*17名の書き手が登場しますが、女性のものが読ませますね。

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*夜明け前。今日は炎天下だと40度近くいくかもしれません。

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思ひ出の旅Ⅳ

これはちょっと古いですね。

1992年の3月と記録があります。

小生近江八幡に住居していた時は、「地の利」を活かして

よく中京圏へ足を伸ばしました。

へっ?と思われるかも知れませんが、信長が安土に城を築いたのも

むべなるかなと感じた次第です。

車内で耳を澄ますと、柏原すぎたあたりから言葉が変化し

いわゆる名古屋弁に近くなってくるのがわかりました。

 

*岐阜の町です。いまはなき名鉄岐阜市内線です。

 今思うと、のこしとけばよかったですね。

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*早朝に家を出て、岐阜の町で朝ご飯というのが定番。 

 中京圏の喫茶店のモーニングには驚かされました。

 注文を間違ったかなと思ったくらいです。

 お散歩の紳士のチロリアンハットが時代を感じさせますな。

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撮影はオリンパスペンEE3 紙焼きからスキャンしました

 

思ひ出の旅Ⅲ

旅行の写真はたくさんあるのですが、ほとんど紙焼きで

ここ数年は介護のこともあってほとんど遠出が叶わないので

ある分から拾ってみました。

 

*長崎の旅の拠点は浦上でした。滞在中は朝のミサにあづかりました。

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*掘り割りには潮が上がってきていて、ボラが泳いでいました。

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*唐人屋敷のちかくですね。早春の長崎はよかったです

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長崎電気軌道はこの町溶け込んでいますね

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三條大橋の擬宝珠を舐める

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                                 *写真説明は末尾に

 

寺社を訪れたとき、燈籠や梵鐘、鰐口や欄干擬宝珠の類いに接すると

どうしてもそこに刻まれた銘文を読んでみたくなるのは小生の身についたクセです。

先日瀬田の唐橋を渡ったときも、擬宝珠の刻銘をざっと読んで見ました。

もちろん唐橋は何度も掛け替えられていて、

その費用は莫大でしたが、日野商人で京都で成功した中井正治右衛門が、

その後の維持管理費まででつけて、掛け替えの工事費を負担したのは

いわゆる近江商人の「陰徳善事」の例としてよく知られています。

当然ながら銘文に名前は刻まれてません。

 今の唐橋にある擬宝珠は5種類くらいあって、うち2種類は江戸後期のもの

あとは明治、大正、昭和の掛け替え時のもののようです。

江戸のものの銘文を磨り消してリサイクルしているものが多いのですが……。

最後の掛け替えは小生もよく知っています。

 

しかし、擬宝珠というとやはり京都三条大橋のものが有名でしょう。

大丸近くの「ぎぼし」という昆布屋は、これを店名にしたのでしょう。

あそこの吹き寄せはちょっと高いけど好物ですナ。

最近はコロナでとんと行ったことがありませんが、

京阪から地上に出て、鴨川を見ながらこの橋を渡るときは、

いくつになっても、「うきうき」しますね。

それで肝心の擬宝珠ですが、排気ガス酸性雨

表面は痛めつけられていますが、なかなかいい色合いです。

 その銘文をここに書き出すのはやめときますが

その一部だけは上方落語に出て来ます。

そもそも私がこの擬宝珠のことを知ったのも落語からでした。

有名な「東の旅」のうち「三十石」。その初めの方で銘文が読まれます。

https://www.youtube.com/watch?v=9qCvprcfOxU 

 *米朝の三十石です。はじめから7分から8分のところ。

  奉行の増田長盛ましたながもり)を「ますだ」と読んでいますが……。

 

で、この擬宝珠天正十八年当時のものでしょうか、

字もなかなか味わいがありますが……。

これについては次のようなのような実地をふまえた考察サイトもありまして。

じつにあいまいなんですね。後世のものも混じっているとか。 

三条大橋マニアックツアー(2) ~擬宝珠銘の異同 : 京都クルーズ・ブログ

 

それはともかく、京都へ行くと、なぜかいつもパチリと撮りたくなります。

なぜでしょう。

初めて撮ったのは今からもう三十数年前、まだ20代なかば。

当時三条小橋ちかくにあった、今で云えばオールドのカメラ店(キネヤ)で、

ローライ35T(TはもちろんレンズのTessarのTです)を買いまして、

喜び勇んで反対側のムツミ堂でポジフィルムを購入、

最初のカットがこの擬宝珠だったと覚えています。

ご承知のようにローライ35は目測、近接だと視差の大きなファインダーでしたので、

気合いを入れたにもかかわらず、上がってきたものはしっかりズレてボケていました。

そのときの記憶がよみがえるのか、なぜかりきんで撮り直しを続けています。

 

さて、今朝小林勇の『蝸牛庵訪問記』を流し読みしていたら

先日もすこし触れましたが、明治41年露伴が京大で国文学を講じていたとき

露伴は東京から漆山という青年を書生として同行させていたらしく。

 

京都で、或るとき漆山さんと二人で三條の大橋のところを通ったとき、「このぎぼしは、高山彦九郎や牛若丸や辨慶の手垢がついているぎぼしだからなめてみろ」と先生がけしかけたら、漆山さんがぎぼしをなめたというのである。漆山さんはどもりどもり「先生があのとき、『天下広しといえども、このぎぼしの味を知っている人はあるまい。』というので、わたしはなめました。」といったので皆笑った。

 

と書いてあるのを見つけました。

ほゥ、これは面白い話と思っておりましたが

調べて見ると江戸落語浅草寺五重塔の擬宝珠を舐める噺があるようですね。

「金の味」とかそのものずばりで「擬宝珠」とか……。

オチには緑青が関係するのですが、詳しくお知りになりたい方は、またお調べください。

小生が三条大橋の擬宝珠の銘文に興味を持ったのは、桂米朝の「三十石」でしたが

うまいぐあいに江戸落語の擬宝珠でオチがついたようです。

 

*さがしたらこんなのが出て来ました。1986年7月とあります。暑いのにようまわってます。

上の記事とは別の日ですが、ちゃんと三条大橋の擬宝珠を撮っていますね。

カメラは対象がフレームから微妙にズレているのでローライ35かな。中段に今はないほんやら洞

 

 

八月の夜明け

久しぶりに河原畑を通って湖畔へ……。

 

通り道の干上がりそうな野壺(死語)のなかの亀(イシガメ)は

まだ出られないが、生きていました。どうして落ちてしまったのか

己の身の不運を呪っているでしょうか。

拾って川にでも放り込んでやればいいんですがね。

先日甲羅にペットボトルで水を掛けてやりましたが……。

それ以上はしないことに。

 

ここ数日の雨は慈雨だったと思います

梅雨明けて、さてこれからどうなる。

 

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PENTAX Q7 8.5mm