逍遥游

本を読んだり、無軌道に自転車に乗ったり、オールドデジカメでブラパチしたり……。

立花隆の訃報と「樹木葬」

立花隆さんが亡くなっておられた。

故人の遺志で「樹木葬」にされたとされ、すでにネット上ではその場所の動画

まで上がっていました。

「葬送の自由」を考える風潮の中で、出て来た墓地形態ですが、

立花さんの感覚がその辺りに落ち着いたのなら、それはそれで興味深い。

 

樹木葬は共同体や家の規制、特定の宗教から離れたものであることともに

自然との一体感というのも強調されます。

でもあれって雰囲気だけでいうとサンマイ(両墓制での埋葬墓地)なんかに

近い気もします。そういう民俗をヒントにした一種のフォークロリズムのようなもの

と、私なんかは勝手に思っているのですが……。

共同体の民俗を失った(あるいは拒否した)都会の市民たちをターゲットにした(言い換えればニーズを受け止めた)た墓地商法という感じもするのです。

もちろん商売自体がが悪いわけではないし、いたってきまじめなものもあるでしょう。

 

 さて、下の写真はそのサンマイ、近江ではポピュラーな埋葬墓地の景観です。

盆前なので掃除してありますが、ふだんは草ボウボウです

この写真を撮った頃はまだ土葬。埋葬場所もすぐにわからなくなる。土に帰ります。

忌明けとともにもうめったに足を踏み入れることもありません。

(極論すれば捨て場所、遺骸や遺骨には興味はないわけです)

要するにもとはこれだけだったわけですが、江戸時代以降これとは別に檀那寺の境内に

はお参りするための石塔を設けたため「両墓」が成立。そっちにはなにも埋められては

おりません。

いったいなにを拝んでいるのか、家の仏壇の位牌と寺の詣り墓と檀那寺のご本尊が

いわば一直線でつながるかたちになり、村と家と寺とが、幕府の政策の下に永続する

という近世的なシステムをありがたく拝んできたのでしょう。

以来四百年あまり、いろんな考えが出て来るのは、考えてみればあたりまえのことでは

ありますが、それにして、まだ遺骨や墓をなんとかしなきゃ……と縛られているわけです。

 

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