逍遥游

本を読んだり、無軌道に自転車に乗ったり、オールドデジカメでブラパチしたり……。

本を読んだりカメラを貰ったり

最近寝付きが悪い。

こういうときは、めんどくさい本を読むに限ります。

めんどくさいと形容するのは憚られますが

いま読んでいるのは 卜部兼好の「徒然草」。

手にしているのは、西尾実・安良岡康作校注の岩波文庫版なので、

注釈はついているけど訳はありません。

もちろん原文を読みながらていねいな注釈とにらめっこしていったらわかる。

現代語訳はまた別の本を見ればよいでしよう。ということ。

 権威ある先生がたの校注ですが、注釈が完全と云うことはありません。

同書だけではありませんが、地方のことに関したもののなかには、

あれ?、と思うところがよくあります。

 

昨日読んだ二百三十六段は、丹波の出雲神社(現亀岡市)に詣でた聖海上人一行、

お宮の獅子・狛犬の置き方が、ほかと違って背を向けてある。

さぞかしいわれのあることと大いに感激し、上人は感涙にむせび、

同行の人々も都への土産話にしようとはしゃぎます。

そこで置いておいたらよかったものを、上人それいわれをわざわざ神職に伝えたところ

あにはからんや、近所の悪童のいたずらというだけで、面目をつぶした話ですが、

注釈ではこの獅子狛犬を「魔除けのために、拝殿の前に置いてある、獅子と狛犬石像」(傍線筆者)

と記してあります。

国文学についてはもとよりずぶの素人です、がここに疑問点が二つあります。

 ①獅子狛犬は拝殿の前に置くものか

 ②それは石像なのか

ということです。

原文では「御前なる獅子・狛犬」とあるだけで、どこにも拝殿の前とか石像とかは記

されないので、いずれも校注者の見識によるものと思います。

この時代であれば①については本殿の上、入口の左右、縁の所に対にして置くでしょう。

また②は、石造ではなく木造の像である可能性が高いでしょう。

愚考するに、注釈の記す情景は、近世以降それも後期以降のものと思います。

揚げ足をとるわけではありませんが、こうやってつついてみるのも親しむきっかけ。

それにしても徒然草を読むのは高校の教科書以来。

鴨長明の「方丈記」とのちがいもあいまいでした。

本書の解説を読んで、なるほど、これは方丈記より上じゃわいと、教えられました。

 

閑話休題

 

知人から2006年発売のNikonD80)を譲り受けました。

今流行のオールドデジカメですね。

ほんとうによく使い込まれていてボディは見事なまでにツルツルです。

早速拙宅に放置してあった20年以上前のレンズ(24-50)をつけご近所試し撮り。

 操作感をなじみのPENTAXとくらべると

たとえせば、Macと昔のWindowsのような感じ、

もちろんペンタがMacですよ。

 

 まぁNikon党の人はそんなことは関係ない。

中級機でもさすがにがっしりした造りです(重いわ~)。

色合いはあっさり目、これは好き好き。夏向きですね。

小生はNikon党ではないし、人前に出して振り回すのは大人げないので

こっそり、かくれブラパチに活用します。

 その足で散髪へ、向暑の砌、いろいろ準備が必要です。

今日も一雨来るかしら。

 

 

f:id:koganemaru59:20210628150439j:plain

 

f:id:koganemaru59:20210628150454j:plain

 

f:id:koganemaru59:20210628150505j:plain