八月は慰霊の月
夜明けとともに自転車にまたがり霊園へ一っ走り。
お盆も近いので、今朝は入念に拭き掃除です。
関東のお盆は七月のようですが、関西のお盆は月遅れ。
やはりこの照りを経験したあとでないと、お精霊さんをまつる気分になりません。
戦後は戦争体験がお盆と結びつくことで、慰霊の月という印象が強められてきましたが
体験者も少なくなり、お盆によせる気持ちにも変化がみられます。
一族には幸い戦死者はありませんが、終戦時、亡父は伊丹の飛行場で数少ない戦闘機の
整備にあたり、母は女学校からの勤労動員で旋盤を相手にしていたようです。
教師で寺の住職でもあった義父はそのころまだベトナムに近い中国南部におりました。
父も義父も生前ほとんど体験を語らぬまま、あの世に行ってしまいました。
語らぬ(語れぬ)ことの重みを感じることです。
母は工場で「玉音放送」を聴かされて「明日から来んでよろしい」と云われほっとした
といいます。京都の町場のこととて、戦争に負けそうなのは薄々感じていたようです。
むしろ終戦後のつらい買い出し体験が印象に残っているようで、これはくりかえし聴か
されました。
一汗かいて帰宅後、すぐにシャワーを浴びました。
午前中は漢文自習。午後はちょっと昼寝したいですね。
*夜明け前から稲の花が開いています。
これだけ高温になると二期作も不可能ではないのでは?