逍遥游

本を読んだり、無軌道に自転車に乗ったり、オールドデジカメでブラパチしたり……。

江漢西遊日記

明け方本棚から日本古典全集日本古典全集刊行会)で出された、司馬江漢の『江漢西遊日記』を引っ張りだして読み始め、夕方なんとか読み終わりました。

大正末から昭和21年の間に全部で267冊が刊行された文庫版の古典叢書。

小生所持のこの冊は昭和2年刊行。しっかりした装丁でしかも天金。

思い出すと大学生のころ、学内で時折あった古書販売(京都市内ににある社会科学系が強い古書店だったと思います)のときに求めたと記憶しています。

昔はどこにでもありましたが、最近は古書店でもほとんど見ません。

 

西遊日記は江漢じしんによるその長崎旅行の記録ですが、江漢生前は刊行されなかったようです。この本の解題では高齢によりなしえなかったと推測していますが、長崎出島での行動を読むと、このまま出すことは公辺を憚るところが有ったと思われます。結局公刊されたのはこの古典文庫が最初のようですが……。

それはともかく近世紀行文のなかでも勝れた記録として高く評価されています。とくに伊勢から近江、京都など上方にかけての描写は、小生もその後仕事の上でも、大いに利用させて貰いました。

江漢は蘭学者にして絵師……。多彩な履歴の持主ですが、町人の出身でありながら身分を楽楽と超えていくその行動ぶりは悪い意味ではありませんが、一種の「世間師」のような印象を受けます。

旅先で城下に入ると早速家中に通じて、易々と藩主や大身の家臣と出会い。銅版画や蘭画を見せ、大いに喜ばれています。幕府方の隠密と疑われたことを自ら記しますが、そういう印象操作も意図的にやっていたのではないかと思わせます。

 

面白かったといえば、伊勢参宮から戻る道中、松阪への途中、津の茶人に紹介されて頼りにしていった家を訪れてみたら「儒者、学者、虚名の者、並に物もらひ不可入」と記した札が表に下げてあるのを見て、「回れ右」をした話。これは笑いました。全編こういうことは赤裸々に実名入りで書かれていて、当時の文化交流の実態がうかがい知れます。

また、司馬江漢の墓について、これは当初からは位置を変えつつも、東京巣鴨の慈眼寺にあるようですが、本書の解題にはその碑文について触れていて、

「文化庚午社■月日建之(右横に、茶湯料三両納之)」と刻し、裏には「資堂金入不許万古毀」と刻されてゐる。

とあります。江漢は下って文政元年になくなっているので、それ以前に寿蔵塔として建てられたものですが、面白い。今どきの「永代供養」もいいかげんなものですが、これをわざわざ書いて江漢の人となりを彷彿せしめんとした編者(たぶん正宗敦夫)もなかなかの者です。

 

*本全集刊行当時なぜか陸軍士官学校に蔵されていた原本はいまは東博にあるようです。また刊本としては平凡社東洋文庫に入っていますので、今読むならそちらがオススメです。

 

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