逍遥游

本を読んだり、無軌道に自転車に乗ったり、オールドデジカメでブラパチしたり……。

ぢいさんばあさん

厳しい暑さです。4時半に目が覚めて、まずは補中益気湯を服用。

夏の気付け薬です。

 

ポストから新聞を引っ張り出して開けると、

文化欄のシリーズ「今よみがえる森鷗外」に、今朝は作家の中島京子さんが

「ぢいさんばあさん」を取り上げておられました。

見出しに「意志的な女性の幸福な晩年」とあります。

「主人公」のるん(名前です)のことですね。これがばあさん。

一方のぢいさんは、つまり夫は旗本美濃部伊織。京都での勤番中に生来の短気により

朋輩を斬ってしまい、越後に配流となります。やがてゆるされて再開するのは37年の

後のことです。

 

るんはその後、義理の祖母と早世した息子を送り、大名家への奉公を続けて身を立て

一途に夫の帰りを待ちます。一見すると貞女物語のようであり、実際そのような美談と

して記憶されたようですが、そこは鷗外、見出しのようにるんのなかに才覚に優れ毅然

として生きる女性の魅力を重ねて短編とします。

たぶん渋江抽斎の妻五百なんかと通じる、鷗外お好みのタイプに描いているんでしょう。

ま、あまり現代的な読みを優先させるのはどうかとも思いますので、作品として正確な

解釈は、国文の方におまかせしましょう。

それにしても「ぢいさんばあさん」という題の付け方からして面白い。

 中島さんは、今回は、ある意味出来欠点の大きい伊織と優れたるんとのギャップに注目し

 「しかし、できる人ができる人を好きになるとは限らない。むしろ、なぜ、あれほどの

人が、と言われながら、どこか未熟な人間とくっついてしまったりするのは、よくある

ことだ。そして完璧な人間なんて、まずいない」「森鷗外が書いたのは、生涯を意志的

に生きた働く女性と、その女性に愛された不器用な男の、長くはないと思われる、しか

し、幸福な晩年である。」と結んでいます。なるほどそういう方向性で行くか‥‥。

 

 ちなみに伊織の刃傷事件は、「寛政重修諸家譜」の美濃部氏の一家の譜にこれと思う箇

所があり、そのため同家は絶家となっていて、史実に基づく話とわかります。美濃部氏

は近江水口を本貫とする一族で、落語家古今亭志ん生はその最も大身であった一軒の子

孫。これは余談。

 

鷗外と漱石はよく較べられますが、個人的には漱石を読むと欝になり、鷗外を読むと精

神が調うといったところです(笑)。

 

 *今どきのカメラは写りすぎて困ります。 やはりオールドデジカメにもどろうかな。

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愛宕山にて、水尾から樒を山上に運ぶおばあさん 1991年

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