逍遥游

本を読んだり、無軌道に自転車に乗ったり、オールドデジカメでブラパチしたり……。

『新京都案内 都鄙問答』

晴れてあたたかいのですが、風が強い日です。

朝から半年に一度の点検に歯医者へいきまして

その後ご近所をうろうろしました。

帰宅したら何冊か本が届いておりましたが

そのうちの一冊は岩波の出したIWANAMI GRAPHICSシリーズの一冊

杉本秀太郎・文/森裕貴・写真『新京都案内 都鄙問答』(1983)

IWANAMI GRAPHICSといわれてもピンときませんでしたが

書影をみてあああのシリーズかと思い出しました。

 

1983年は昭和58年、小生が社会人になった年ですからもう40年も前のことです。

杉本の文章には出だしからうならされますが、写真を担当した森の仕事もすばらしい。

森にはその名も『京都』という写真集のがあるのですが、

もともと数が少ないのと高いのとで、なかなか手に入りません。

 

本書の 副題の「都鄙問答」は京都の心学者石田梅岩の著作の名を思い起こしますね。

例によって杉本の文章はあくまで基本は都すなわち洛中にあって、

鄙については通り庭の奧の庭の存在や、そこらに住まう小動物の気配に

鄙を内包する京都の町についての持論を述べたりはしています。

ただもうそれは過去のことであることは自身にとっても自明のことで

本当の「京の田舎」であった近郊農村とのつながりも昔の夢物語だと歎きます。

「都鄙問答」とは、町と田舎が有機的につながりひとつの調和をみせていた

かつての京都の姿を表現したものかと感じます。

それが失われた今、あらたな「いなか」を求めて、ここでは宇治田原などが

見いだされているわけですが、ここでは著者は京都の束縛からはなれて

意外にも気楽そうに振る舞いなから、何か心にもない感じがして、

再び熱気と湿気をまとう祇園祭の巷、洛中の日常へと戻ってくる趣向です。

 

 開発と観光に対し、あるいは身内といえる人々に対しても、その無神経さへ

の物言いは激しいのですが、実際にはこの本が出てからのほうが耐えがたい

ものではなかったでしょうか。

ここ数年の「インバウンド」(ほんまに嫌なことばやと思いますが)とコロナ

下に生きておられたら、いったいどうやったやろなどと感じます。

 

杉本家は今は財団の所有という形になり、典型的な上層町人の大型町家

「杉本家住宅」の名で重要文化財にもなり保存・活用されています。

田舎者の小生などにとっては、まことにもって畏れ入るようなお屋敷です。

四条をちょっと下がったあの繁華なかいわいにボンボンとして生まれ育ち

それが血肉化した感覚あってこそ許される文であり物言いでなのでしょう。

それゆえか森の写真は、その杉本の文とつかず離れずの距離感をもちながら、

もっと低い目線で京都を舐めていくようで、結果的に本としてのバランスも

とれているようです。

 

 このシリーズは何冊かもっていたはずですが、

転居のくりかえしの中で手元には一冊も残っていませんでした。

 扉に前の持主の蔵書印があって、89年9月24日購入とありました。

その頃小生は毎日山に登り、真っ黒になって発掘調査の真似事をしていた筈です。

 

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*『新京都案内』見返し 写真・森裕貴

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 よう見ると右側はえらい不規則になってますね。屋根の下に問題があるのでしょう。