近世畸人傳の序を読んで見る
暇なので、好きな本のなかから『近世畸人傳』(岩波文庫)を引っ張りだし
さらに暇なので、その序をながめております。
じつは序は読んだことはありませんでした。
訓点が入っているからといって、すらすらとは読み下せません。
「鶉居鷇食以頤志、牆東竈北、不與藪澤二其趣、而不以高逸自處……」
まず「鶉居(じゅんきょ)鷇食(こうしょく)して以て志を頤(やしな)ふ」ですが、
鶉居は「鶉のように野宿して定住するところがないさま」(全訳漢辞海)、鷇食は「ひな鳥が親鳥の養いを受けるように、物を仰ぎ受けて満足すること」(新字源)で、さらに調べると、いずれも「莊子」の天地篇に「夫聖人鶉居而鷇食(それ聖人は鶉居して鷇食す)」にもとづき、「鶉居鷇食」で成句になってます。
一方の「頤志」は「漢書」を編纂した班固(はんご)の「幽通賦(ゆうつうのふ)」(「文選(もんぜん)」に入っています)に見え、「紀焚躬以衛上兮 皓頤志而弗傾(紀(き:人名)は躬を焼いて以て上を衞(まも)り、皓(こう:同前)は志を頤ひて傾かず)」とあります。いずれも、いわゆる聖人の行いのさまを述べたところらしいです。
昔の人はこういうことは、少なくとも成句ぐらいは頭に入っていて、それをふまえた上で読んでいるのでしょうが、21世紀の凡人は、のっけから辞書を引き、検索をかけないと、その足下にもたどりつけません。ちゃんと読まないといけませんね。
それで、畸人とはなにかというところへ飛んでみますと、
「畸とは何ぞ。曰く、畸とは奇なり。其の閒儒にして奇なる者有り。禪にして奇なる者有り。武弁にして、醫流にして、詩歌・書畫・雜伎家にして奇なる者有り、要するに皆一奇のために掩はるゝ所、人復た本分の何人たることを知らず。故に概して畸人を以てこれを目すと云ふ。」とあります。
この部分はじつは「解題」で森銑造も読み下していて、「數十字にして、よく畸人の何者かを説き盡くしてゐるといつてよい。然らば本書の内容は、説明に及ばずして明らかであらう」と記しております。
「えっ?、まあなんとか……」これまた凡人は放り出されてしまいます。
まあこんな感じで、不勉強を自覚する日々であります。