逍遥游

本を読んだり、無軌道に自転車に乗ったり、オールドデジカメでブラパチしたり……。

三文字熟語

三密堂

集近閉

うーん……。

 

さて、今日は雨なので自宅で、老母の相手をしながら終日自習。

写真データを見ていたら、滋賀県庁の前庭にひっそりと建っている顕彰碑が写っていたので、文字起こししてみました。切り方はいい加減ですが、いいたいことはわかりました。

 松田道之は初代滋賀県令。

地方行政官として地元ではすこぶる評判がよいのですが、

(教育熱心で、学制開始の時は各地の開校式に直接出かけ演説をぶっていたそうです)

琉球処分に関わっては正反対の評価にさらされます。

 

明治とはいえ四十三歳で没しているとは……。

 

松田道之 - Wikipedia

 

 嗚呼、東京府知事従四位勲三等松田君逝矣。君諱道之、因州鳥取人。性英敏長於政務、夙唱勤王、維新之功與有力焉。始擢徴士内国事務局権判事、尋任京都府判事、更為大参事。明治四年十一月転大津県令、在任五年、治績最著。後進内務大丞、累遷東京府知事、越二年罹病終不起。実明治十五年七月六日也。年四十三、哀哉。今者、大津知人会員某某等與県内篤志者数百名相謀、醵金奉奠、遙祭君之霊。又齎若干金、而贈之其遺族、以表吊意焉。顧此挙、雖専出于知人会員之首唱、而成於県民哀慕之摯情。蓋亦君之徳政深入人心也、之所由致也。嗚呼、是足以知君之平日矣。乃刻石永紀追慕之念云。

明治十五年十一月十二日   滋賀県従五位籠手田安定 撰文

                  滋賀県六等属伊藤紀 書

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