思ひ出の旅Ⅶ
今回は2008年の秋の旅です。
まずは東名阪から伊勢湾岸道を経て知多道を使って半田へ。
それから陸路豊橋を経て渥美半島へまわって先端の伊良湖岬で一泊。
翌日はフェリーで再び知多半島に渡って帰って来ました。
初日は半田の新美南吉記念館がメイン。
記念館は仕事もふくめて何度も行きましたが
少し離れたところにある南吉の生家と養家跡がよかったですね。
新美南吉というと「ごんぎつね」かと思いますが
やや幼いというかあざとい感じがしまして、
小生はやはり「おぢいさんのランプ」が好きですね。
余韻があるのはこちらかな……。
細長く延びた半島は低い丘陵を背骨にして同じような景色が続きます。
あたりは半田道の開通でずいぶん変容しましたが、
それでもなんとなくキツネが出て来そうな南吉が歩いてそうな面影が残っています。
翌日はやはり恋路ヶ浜がよかったですね。なかなかの絶景でした。
太平洋の潮騒を聞くのは、ふだん琵琶湖しか見ていない人間にとっては
なにか怖いようなかんじがしましたね。
砂浜では椰子の実をさがしましたが見つかりません。
伊良湖港には土産に打っていますが……。
ビューホテルには、渡り鳥目当てのバードウォッチャーがたくさん来ていました。
今日も暑さ厳しい一日でした。夜に入って近所で花火が上がり出しましたよ。
*南吉の養家で
*東海道二川宿で、ちょうどお祭りに出会いました。
*伊良湖岬をあとにして
好きな街角
この時期京都の町はよう歩けませんが
ストックした写真から……。
もとは医者かそれとも写真館でしょうか。
2階の窓の取り方からするとスタジオのようですが……。
全体をみるとなかなか素敵な建物です。
このあたりもマンションやビルなど柄の大きな建物ばかりになってきました。
通りの奧に大文字が見えています。
さて、連日の熱帯夜で明け放った窓に今夜もお月様がお出ましになりました。
わずかに欠けてきましたが、部屋の中まで光が差し込んできます。
李白の「静思夜」の一部を持ち出すとちょっと暑さも和らぎますか。
牀 前 看 月 光 牀前月光を看る
疑 是 地 上 霜 疑ふらくは是れ地上の霜かと
でもこれはやはり秋の詩か。なかなか厳しい毎日ですね。
思ひ出の旅Ⅵ
赤い電車の旅が続きます。
昨日と同じく1991年の夏は、岐阜からさらに奧へとへ足を伸ばしました。
近鉄大垣から岐阜へ、さらに名鉄に乗り換えてたどり着いた終着駅が本揖斐。
夏のあついさなかに、古い町並みを散策し、揖斐川にかけられた簗も見物しました。
その後、黒野から谷汲も行ったのですが、プリントが見つかりません。
いずれもローライ35Tがお供でした。
当時は36枚撮りを一本詰めただけで、ほんとうに一枚一枚ていねいに撮っていました。
でも、下の写真はいずれも30年前のプリントからのスキャンということもありますが、
いくらカメラに凝ってもサービスプリントだとこんな感じです。
デジタルになってほんとうによく写るようになりましたね。
最近は、よく写らないのがもてはやされるようですが……。
*2005年全線廃止となった名鉄揖斐線の新旧車両。こんな新しい車両もあったんですね。
親子ほどの差があって、まるで別の鉄道が乗り入れたようです。
*古い車両の内部。このころは扇風機だけで十分涼しかったんですね。
ロングシート両端の手すりの処理がクラシックです。
スマホも携帯もこの世になかった時代、電車のなかで下を向いている人は読書中。
*大きな造り酒屋がありました。いったい間口何間になるのかな?
思ひ出の旅Ⅴ
今回紹介するのは、1991年の3月梅の頃に行った三河路の旅です。
この時は豊橋に一泊して、飯田線に乗って初日は花祭りの里東栄町へ
翌日は渥美半島西へ豊橋鉄道に乗って終点の田原まで行きました。
朝の内に豊川稲荷をざっと見物し、再び車中に。
初めて乗った飯田線は旧村ごとに駅があるという感じで驚きましたね。
下車した東栄駅はもう少し行くと静岡県(遠州)との境という位置。
駅前からでるバスに乗って東栄町の中心まで行くつもりが、
駅の写真などを撮っているうちにうっかり見送ってしまい、
谷間の国道151号を延々と歩くはめになりました。
谷川に沿って上り勾配、5キロくらいはあったのではないでしょうか。
あらかじめ距離を調べておかなかったのでかえって気が楽だったんですね。
ようやく東栄町本郷にたどりつきましたが、お目当ての花祭り会館は改装中で休館、
私にしては珍しく? まさに行き当たりばったりの旅でした。
しかたなくあたりを散歩しましたが、これがなかなか面白かったと覚えています。
旧街道沿いの在町という感じで、ちょっとした町並が続き、赤煉瓦の銀行なんかもあり
往時の賑わいを伝えていました。
2時間ほど見物して、まちなかでお昼を取り、帰りはバスに乗りました。
1時間ほどかけて歩いた山道もバスなら10分ほど。まことにあっけないものでした。
翌日は豊橋の町を見物して田原まで足を伸ばし、渡辺崋山の旧跡などを見物したのですが
豊橋市内を歩いていたときに、車が止まり、なかから女性が顔を出し
「昨日東栄町を歩いていた人ですね」と声を掛けられたのには驚きました。
山の中の国道を歩いていたのがよほど目立っていた(怪しかった)のでしょうが
それにしても声まで掛けられるとは、時代がまだのんびりしていたんですね。
その後東栄町には20年ほどして仲間と再訪。一泊して奥三河の花祭りを堪能しました。
*右:途中時間待ちした湯谷駅(現湯谷温泉駅)かつて旅館も併設したというこの駅舎は2019年解体)。
この時のカメラはたぶんローライ35Tのはず。