下御霊社界隈
ときおり小雨がぱらつきましたが
町中をめぐるのにはかえってよかったですね。
朝から東山通りのデポ地へ、ここから自転車に乗って御所回りへ。
大人が見るとあまり感心しない露店(「ほしみせ」といいましたが)ですが
午後になると子どもたちがわんさか出て来て結構なお商売になってます。
その筋の人が見回りをしていて、なるほどなと思いますが。
この界隈もずいぶ町家が減りましたが、祭りらしいしつらいもありました。
今となってはもう遅いのですが、京都市は清水とか祇園だけじゃなくて、
中心市街にこそ生きている町家群を残しておく必要があったのではないでしょうか?
午後今度は東山から西大路まで走って第二のデポ地へ移動。
短かったチェーンをシマノのおニューに取替えたので
ディレーラーの収まり具合もよくなり
すいすい走ります(気分です)
だいたい20分くらいでしょうか。
考えてみれば狭い町ですね。京都は。
*かつてはずらっとならんでいたのでしょうが……
*こういう町家もドンドン消えていってます
*煙だしがあるのは今となっては珍しいですね。
*立派な剱鉾の飾り付けをしておられるお町内もありました。
*いつもおもうんですが、下御霊さんでたくさんお水を頂かれるお商売の方、
お参りもせず、お賽銭もあげんと貰うだけの人、あれは失礼かなと。
いやちゃんとしかるべき時にまとめてたーんと上げてははるかも……。
上御霊さんとくらべて、このお社はヤレ具合が……。
へそまがり
新しい元号がはじまってめでたいという感じです。世の中は。
べつにいちゃもんつける気は無いのですが、
でもね、私はこの元号もうひとつしっくりこないんですね。
昭和も平成も好きだし、過去についてもほとんど和暦を使うんですけど
どこかの國の宰相の僭上ざたが気に入らないから……。
それもありますが
漢字はいいんだけど レ ではじまる 語感かな?
これからは西暦にするか……。
いや東アジアで通用する干支でいきましょう。
「己亥」つちのとい ですわ。
ということで、これから書類はこれでやってみよー。
えっ、不遜なのはオマエだと、失礼いたしました。
と、ここまで書いたのが昨日。
ひとばんよくよく考えてみて、
それは、もう自分の時代じゃない と感じるからじゃないか?
と気がついた。
そうかもしれない。
*ご近所にて
釘抜き地蔵さん
先日、久しぶりに釘抜地蔵にお参りしました。
千本今出川からだらかな坂になっていますが、これを北へ少し上がります。
通りに面して門があります。
入口の雰囲気は随分変わっている気がします。なかもかなり奇麗になっているような。
学生時代の記憶ですからもう40年近くも前のこと。
当然と云えば当然かも知れませんが、
この近くの千本焔魔堂があいかわらずなのと較べるとね……。
ひきも切らずにご老人方のお参りがありますが若い方もおられます。
私が行ったときも若い女性がお千度をふんでおられました。
ご老人はゆっくりと拝んで、
びんずるさんを撫でて、自分の頭・肩・腰を撫でます。
どこが「悪い」かこれでわかりますナ。
御礼の絵馬は釘抜きと釘なんですが、たしか昔は釘は和釘でしたが
今は洋釘の五寸釘です。
和釘は文化財修理などの特注品しかないんでしょうが、ちょっと残念。
この地蔵さんから、東ヘ堀川のほうへ走ると緩い坂になっていて、楽に走れます。
*一昔前のGRデジタルにて
つかれたな~
葵祭の今日は清々しい日になりましたが、
ここ数日満員電車に揺られたためか疲れがでました。
原因の一つにJRでの人身事故があります。
昨日は朝夕の人身事故2件に加えて火災さわぎと
いずれもラッシュ時ということも重なり
JRにとってはまさに厄日だったのではないでしょうか。
じっさい「損害額」もばかにならないはずで、
利用者の立場からしてもお気の毒とばかりいっていられない気持ちになります。
ホームへ開閉壁?の設置が喫緊の課題ではないでしょうか。
近頃開業した梅小路の駅はそのようにしていますね。
新開業の駅はとくにホーム幅に余裕がなく、新快速が通過すると
じっさい吸い込まれるような怖さがあります。
目の不自由な方もおられる、高齢化でふらつく人も多いですからね。
鉄道は車と違って時間が読める乗り物だというイメージがあったんですが
この頃は、安全面の要請もたしかにあってではありますが
不可抗力的な事故も多く、そんなわけで自衛策。
・一時間は余裕をもって利用。
・事前の水分補給は控えめに。
・止まったら、じたばたせず、動くのをまつ
を心懸けています。
*夕刻母の病院へ行き、帰りに買い物。道中カメラをパチリ
ドラム缶のフォルムが好きですな。
暑苦しい話
昨日は午前中にすだれの附替を済ませました。
一仕事のあとはビールといきたいところでした。
母親は認知症がすすんで、病院からしばしば電話をかけてきます。
なにごとかと、いってみるとたいしたことはありません。不安感があるのでしょう。
家人と一日交替で病院に行きます。
話題をころころ変えながら、対応していくのは慣れましたが
これで自宅に戻ったら、たいへんだろうな、と今から覚悟しています。
子育てと介護と天災は体験した人でないとわからないといいます
じっさいそのとおりだとおもいます。
どこぞの国の偉い人は、七十歳まで働けといいます、その時親は百歳くらいで
当然介護対象となっているわけですが、当然つじつまは合いません。
病院へいくと親の見舞い(着替えやリハパンなどの補給です)
に来ているのには息子と覚しき人が少なくありません。
昨日あたりはそのたいていが六十代の後半から七十代前半と見受けました。
親の面倒を子ども(長男家族)がみるのは我々が最後の世代とか聴きました。
土地や家屋を相続するより、介護しなくてよい方を選ぶ子どもは増えるでしょう。
お一人さまならどうするか?
体験からすると、お金を蓄えておくのと、体重を軽くしておくのは必須です。
暑苦しい話になりました。
*月一くらいで近所のスーパ-で店を開く「パンツ屋さん」(仮称)
世の中モールやコンビニで買えないものもある。